更新日:2013年10月
アユの放流―その危険性
これまで種苗放流の利点ばかりに目が向き、その危険性 ―病気の持ち込み、遺伝的な攪乱など― には十分な注意が払われてこなかった。その結果、アユの冷水病が全国的に広まり、アユが釣りにくくなったことはご承知のとおりである。遺伝的な攪乱については、その実態すらまだよく分かっていないが、放流先とは環境条件の異なる場所で採捕されたアユ(またはそれを親として作られた種苗)を放流する場合、放流する種苗は放流先のアユとは異なった遺伝的性質を持っている可能性がある。その性質が放流先での生存や繁殖に適していない場合は、放流先の在来の集団がその地域で獲得した適応形質が浸食されるような事態に陥る危険性がある。そうなると、「地のアユ」が生き残る確率は低下する。
こういった放流のリスクが顕在化してきたこともあるのか、稚アユの放流量は増えたのに漁獲量はいっこうに増えない、むしろ減少したことが報告されている。
北限のアユを育む朱太川

北海道の渡島半島の付け根付近を流れる朱太川は、延長43.5kmの中規模河川で、黒松内町、寿都町を経て日本海側の寿都湾へと注ぐ。朱太川を特徴づけるものは自然豊かな河川環境で、本川には魚の移動を妨げるような堰堤等の工作物は全くなく、アユが源流域まで遡上できるという全国的にも希有な河川である。なんと、川幅2mぐらいの源流部にイワナと一緒に海から遡上してきた天然アユが泳いでいるのである。
北海道固有の個体群の存在
朱太川を含む北海道の天然アユは、北海道の川とその周辺海域で生活環を完結する個体群、つまり「地のアユ」ではなく、本州の日本海側の河川から仔魚期に海流に乗って北海道沿岸まで運ばれてきた無効分散(繁殖に寄与しない分散;かつては死滅回遊とも言われていた)的な集団であるという通説がある。この説では、北海道の河川でふ化した仔魚は冬場の低水温で死滅すると考えられている。しかし、この通説はどう考えても矛盾が多く、科学的な理由(詳細は省きます。詳しく知りたい方は月刊つり人2013年8月号を)から無効分散説は否定できる。ただ、私が北海道固有の個体群が存在すると確信したのは、そのアユの異常とも言える体型を見てからである。
北海道の気候に適応した体型?

「朱太川だけなのか?」という疑問もあって、昨年は周辺の河川でも調査してみたところ、渡島半島を流れる厚沢部川でも確認した。写真は坂本和晃さん(自然豊かな清流厚沢部川を考える会事務局長)が釣った「問題のアユ」である。
なぜこのような体型になるのかは、まだ分かっていない。北海道のアユであれば、すべてがこのような体型になるというわけではなく、餌条件が良い場合にのみこのような体型になるようである。河川生活期が5ヶ月しかないという北海道特有の生息条件と関係があるかもしれない。
朱太川での種苗放流―その驚くべき効果
朱太川ではこれまで人工の稚アユが放流されてきた。昨年、その放流アユの解禁当初の漁獲率を調査して、愕然とした。朱太川全体の生息数は約30万尾(潜水調査から推定)で、そのうち放流はわずか2万尾。7%にすぎない。ところが、解禁当初(7月)に友釣りで釣られたアユのうち、人工アユの比率は、上流では30%、下流では実に60%という高い値であった。天然アユの多い川での調査結果としては、異常に放流アユの割合が高いのである。驚くべき放流効果と言わざるを得ない。冷水病が発生しないということが大きな要因となっているようである。
稚アユの放流中止を決定
それでも私は放流の取り止めを漁協や地元行政に提言した。朱太川に放流されている稚アユの産地は岩手県や秋田県であり、朱太川の在来のアユとは遺伝的な特性が異なっている可能性が高い。もしも、低水温に対する抵抗性 ―北限に近い朱太川では生残するために必須の性質― を欠いた種苗が放流され、在来のアユと交雑した場合、本来、朱太川のアユが有していた(はずの)低水温に対する抵抗性が希釈されてしまう可能性は高い。このことはアユ仔魚の海での減耗に直結することになる。
このシナリオは現段階では想像の域を出ないが、このことが確認されてからでは回復させることは難しくなるため、可能な限り「北限のアユ」の遺伝的特性を攪乱しないような対策が求められる。そして、冷水病のような新たな病気を持ち込むリスクも考え合わせると、最良の対策は放流の取り止めということに行き着くのである。放流によって得られる短期的な利益よりも、長期的に見るとそのリスクの方が大きいと言いかえてもいい。
この提案を受けて、朱太川漁協(畑井信男組合長)は総会で稚魚放流の取り止めを決議し、2013年にそれが実現した。
ただ、放流を取り止めて釣れなかった時はどうするのか?クレームは処理できるのか?遊漁券は売れるのか?矢面に立たされる漁協だけに対応を押しつけることにならないか?稚魚放流の中止の成果(影響)がどうなのかということも科学的にモニタリングし評価する必要があるが、地元でそれを行うためには専門的な知識と技術が必要となる。解決すべき課題は多い。
稚魚放流なしの「増殖」

幸いにして、朱太川漁協はかねてから天然アユから採卵して、ふ化した仔魚を朱太川に放流するという事業を行っていた。サケと同じような増殖である。この増殖事業であれば、遺伝的な撹乱を起こさずに済むし、漁協に課せられた増殖義務を果たすことにもなる。アユでは前例がないが、ワカサギでは発眼卵放流のみでも「増殖行為」と認められているので、アユで否定される理由はない。